矢部敏夫 1939ー2024
「野暮」ではないが「粋」には遠く、「粋がり」こそなかれども「伊達」に届かず。
「無頼」の自由に憧れるも孤独を嫌い、「勝手」を気取るが「身勝手」までが精いっぱい。
されど、遂にはすべてを脱ぎ捨てて真白き「しゃれ(こうべ)」になりけり。
「身勝手」成り「洒落者(しゃれもの)」。
「シャレにならない」・・・ではなく「シャレに成った」3代目の旅立ちを、江戸言葉を散りばめて墓碑銘代わりに認めました。
※江戸における「しゃれ(洒落)」とは、執着から脱して究極のミニマルを体現した人を指す。現代の「お洒落」の語源
○遺影について
お客様でもあった故・篠山紀信さんに撮っていただいた家族写真の一枚。
初見即「遺影はこれで頼む」と断言したほど気に入っていました。
この撮影の際、キシンさんの「親父さん、いい顔だね。ほろ酔い気分で笑ってくれる?」というやさしい声がけにうっとりした父は、何をとち狂ったか突然、
「あの、よかったら脱ぎましょうか?」
と提案。
その場にいた家族・撮影アシスタント・立会人の四谷シモンさんら全員が硬直するなか、キシンさんだけが素早く(発言に被せるように)、それも断固とした態度で「いいえ。その必要はまったくありません」とピシャリ断ち切った・・・そんなエピソードがあります。
撮影後、家族で父を問い詰めたところ、
「女優さんたちがなぜ、篠山紀信さんにだけは肌を見せてもいいとヌードを許すか、なんか腑に落ちてさ。こりゃあ一肌脱がなきゃいけねえと思って」
とのこと。
今年1月、先に彼岸へ渡られたキシンさんに父が追いつき、魂という究極のヌード姿の撮影をお願いしていないか、なんだか心配になってきました。
いつか自分の番になった時、そのあたりを確認する所存です。